The Queen's Orchid
バーグドルフ・グッドマンという、五番街に君臨する高級老舗デパートは、ニューヨーク、いや世界の数多くある他のデパートとは「種類」が違う。
普通、デパートでは、商品を売っている。
もちろん、バーグドルフにも商品は並んでいる。
しかし、これは私個人の意見だが、バーグドルフ・グッドマンに売っている商品は、あくまでも、このデパートが醸し出す、「歴史と伝統」「気品」「格調高さ」という、貴族的空気のつけ合わせでしかない。メインディッシュは、まさにここの存在そのものである。
同じスカーフでも、他のデパートで買うのと、バーグドルフで買うのとでは、大分意味が違ってくるのではないだろうか。顧客にとっては、バーグドルフという空気の中で買った、という「体験」がとても重要なのである。
そして、どのような有名デパートや店舗であっても、どのような最新最強のブランディングをもってしても、手に入れることができないのが、このデパートの、生まれ育ちの良さから来るその空気なのである。
陳列されている商品には、必ずバーグドルフらしさが振りかけられている。
ここで見つけた某ブランドの洋服を、他のデパートはおろか、ソーホーの旗艦店でさえも、見つけることができなかった。
そして歴史と伝統を誇りながらも、古臭い化石となることは決してない。優美かつユニークなウィンドウ・ディスプレイに象徴されるように、クラシックは踏襲しながらも、その商品ラインナップは常に時代の流れに敏感であり、斬新であり、見る者を飽きさせることはない。
このような理由から、もしニューヨークに観光に来ることがあって、しかしあまり時間がなく、たった1つしかデパートに行けないとしたら、サックスフィフスアベニューではなく、バーニーズでもなく、ましてやブルーミングデールズでもなく、何としてでもバーグドルフグッドマンに行くべきだろう。そこへ行けば、ニューヨークが誇る「何か」を感じることができるかもしれない。
私は、あそこの入り口ホールのシャンデリアの下で咲き誇っていた、ピンクの胡蝶蘭の美しさと気品を、決して忘れることはないだろう。
Another Sky #2
(#1の続き)
意気揚々とブロンクス行きの電車に乗ったと思っていた私だが、それはなんと、96stから枝分かれし、目的地とは違う方向であるハーレム行きの路線だったのである。
気づいた時はすでに遅し。Freeman Stという、数字で言うと170stくらいまで来ていたのである。96まで戻らなければ、正しい道に修正できない。
ふ、ふりだしに戻るんかい・・・・長かったのに・・・
とりあえず、すぐさま電車を降り、再度ダウンタウン行きに乗る。が、乗ったその電車もまた、目的地に通づる96stウエストサイドではなく、反対側96stイーストサイド行きだったのである・・・
愕然とする私。
かくして時間と労力を十二分に空回りさせた私はしばし考え、96まで下がり、地上に出てタクシーを拾う。
なんと、タクシーでブロンクスに向かうことにしたのだ。
さっき買ったばかりの地下鉄乗り放題チケットが、ポケットの中で泣いている。
いかにも観光客らしい様子だった私が、ウエスト238stへ行ってくれと指示すると、
タクシーの運ちゃん「・・・お嬢ちゃん、そこに行ったことはあるのかい?」
しかしチンタラ走る地下鉄よりも、ガンガン飛ばして効率的に目的地に到着することが
できたのが、唯一の救いである。
見覚えのある風景が見えてきた。
3ヶ月だけホームステイをしていた231st駅である。懐かしい。
車はそこを通り過ぎ、238st駅へ向かう。
そこへ、私が毎日使っていたデカいスーパーマーケットが出現する。
お〜〜〜!!!
この店も、あの店も、まだある!そのまんまやんけ!!!
かくして車は238st駅前に到着した。
運ちゃんに礼を言ってチップをあげ、車を降りて、辺りを見渡す私。
駅周辺、13年前と全く同じである。
驚愕である。店のラインナップが全然変わっていない・・・
駅からアパートに続く道を歩く。
本当に13年経ったのだろうか、全く変わってないぞ。
わりとショボい店々なのに(失礼)、時の試練に未だに耐えてるなんて、どういう意味
なのだろうか。
アパートのすぐそばにある、いつも使っていたデリと、チャイニーズフード店と、コインランドリーも、全くそのままである。
お〜〜〜!!
そして、ついにアパート出現。
なんとも不思議な感覚に包まれる。
住んでいた6階の、自分の部屋の窓に目を移すと、私が当時購入したエアコンがまだ窓
に設置されたままになっている。
ちょうどラッキーなことに共有ロビーのドアが開いていて、建物の中に入ることができた。中に入り、エレベーターに乗り、6階行きのボタンを押す。
・・・動かない。
ガチャガチャと何度か押してみると、ようやくエレベーターが動き出した。
これも当時と変わってない。
6階に着き、自分の部屋であったE号室の前まで行ってみる。
開かないドア。
あたりは静まり返っている。
ここら辺で、ますます不思議な気持ちになってくる。
ああ、そうか。ここで終わりなのか。となんとなく寂しい気持ち。
とりあえず記念(?)に写真だけ撮り、下に戻ろうとすると、突然、E号室のドアがガチャリと開いた。
!!!
振り返って見ると、なんと、そこから13年前の私が出てきたのである。
驚く。
自分の心の奥の奥にある、柔らかい部分を、ギュッと思い切り強くつねられたよう。
・・・と言うのはウソで、腕にタトゥーの入った、なんともイカつい兄ちゃんがドアから出てきたのだ。
イカつい兄ちゃんは私を見、ニコリと笑う。善良そうな人だ。
ここで私は、この兄ちゃんに、「実は私、13年前にあなたの部屋に住んでいたんです」と言おうかどうか、一瞬迷う。
が、恥ずかしくなって、やめた。
兄ちゃんは私に「Good Bye」とだけ言って、行ってしまった。
それからしばらく、アパートの前に座って、当時聞いていた曲を聴きながら、辺りを眺
めていた。
アパートの住人たちが、建物に出たり入ったりするのを見る。
なかには日本人らしき人もいた。
なんとなく彼らが少し羨ましい気持ちになる。
当時の思い出が鮮明によみがえる。
自分もまだここに住んでいるような感覚になる。
しかし同時に、時は確実に過ぎ去ったのだとも実感した。
よっこらせと立ち上がり、アパートを背に、駅に向かう。
ああ、この道、いつも歩いていた道だ。
振り返ると、13年前の私が、そこで笑って私に手を振っている気がした。
Blackbird
日が暮れてきたブルックリンの空を見ていると、妙にこの歌を口ずさみたくなる。
All your life, you were only waiting for this moment to be free.
(君の人生でずっと、君はこの自由になる瞬間を待っていただけだったね)
この町の人も、この歌が好きに違いないと思う。
Another Sky #1
全てが懐かしい。
特に、脳の中で、強烈にあの頃に呼び戻されるものが、「匂い」である。
様々な人種の人々の、つけている香水と、汗と、情熱と、地下鉄列車の油と、エスニックフードがごちゃまぜに混じったような匂い。
「あ、この匂い、知ってる。」
だけど、遠い昔の淡い記憶というよりは、ちょっと前までそこにいたかのように、すぐに昔に戻れる、順応できる匂いである。匂いに対する自分の反応が、地に足がついている、とでも言おうか。多分、当時ある程度長く住んでいたからだと思う。
次は、人々が話す「リズム」である。
ここの人達には、話す英語にリズムがある。
私も、この街に住み始めた昔、英語を勉強するというよりも先に、このリズムに乗って
会話する、ということをまずは習得した。こう言われたら、こういう風にリズムに乗っ
てこう返す、みたいな。
今回、街の人と英語で話す機会があると、その「リズム」が、自分の身体の中に呼び戻
されるような感覚になった。
ニューヨーク、マンハッタン観光(実質)1日目。
ホテルがあるブルックリンを出て、まずは中心地であるタイムズスクエアを目指す。
・・・と言いたいところだが、体調不良でホテルで静養していた分を取り戻すべく、実質2日間の旅程を1日でこなすため、まずはブロンクスにある、昔自分が住んでいたアパートに向かう。
タイムズスクエアで乗り換えし、赤い路線に乗ってアップタウンへ。
地下鉄はどんどん上に登ってゆく。
79st、96st、103st、110st、125st、137st・・・・
・・・・うーーん、長い。チッまだ100代かよ・・・よくぞこんな長い時間を我慢できたな、昔の私よ。(心の声)
上に登るにつれ、だんだん乗車客の層が変わってくる。
・・・よくぞこんな(怖そうな)所に住んでいたな、昔の私よ。なぜゆえブロンクスを選んだ?(心の声)
と、ここでまさかの悲劇が起こるのである。
(続きはまた明日)
Damn!
つくづく自分は海外旅行に向いてない人間だと思う。
社会人になってから初めて海外旅行をしたのがベトナムだが、その時から、いつも旅行
中に体調を崩し、ホテルの部屋で静養しっぱなしだったり、色々キャンセルをしなくて
はいけなかったりして、思いきり満喫できないのだ。
今回も、夏風邪による体調不良でもう4日も旅程をダメにして、ただひたすらホテルに
引きこもっている。
毎回、
仕事の勤務先で風邪の菌をうつされる
→旅行まで1ヶ月くらい余裕があるので、それまでに治そうと思って治療に努める
→意外にしつこく、なかなか治らない
→少し良くなってそのまま旅行に突入
→旅の疲れで、おさまりかけていたウィルスが再び元気になってダウン
のパターンである。
旅行をする前までは、海外には在住しかしたことがなかったので、こんなに調整が
難しいものとは思わなかった。
まるで、4年間をたった1日の数時間のためにピンポイントで調整していくオリンピッ
ク選手並みに難しいじゃないか。(いや、ただ不運なだけだと思うけど)
つまりは、自分の身体や精神は、色んな急激な変化に弱いのだと思う。
在住だと、ゆっくり時間をかけて調整していけばいいが、短期滞在となったら話は違
う。1日1日が大事だから、悠長に調整している場合ではないのだ(今、悠長にしている
けど)。
個人的な意見だが、特にニューヨークなんて、短期旅行には最も不向きな場所だと思
う。たかだか1週間くらいの滞在だとしたら、バカみたいにエンパイアステートビルに
登って、自由の女神を見て終わり、である。
Lost and Found
昔、「ウォーリーを探せ」という絵本があった。
ウォーリーという主人公が1ページ1ページ、あらゆる場所を旅していくのだが、人が無数に入り乱れた絵の中から、読者は彼を見つけ出さなければいけない。
面白いのが、ウォーリーは1ページずつ、とある場所を旅するたびに、自分の持ち物、傘だったり、リュックだったりを1つずつ落としていってしまうのだ。(それをまた読者は最初のページに戻って、どこにあるか探し出さなければいけないという仕組み)
私は、旅というのは、このウォーリーのように、「その町に何かを1つずつ落としてくること」じゃないだろうかと思っているのである。
本当にモノを落とす人(大事なものであれ、そうでないものであれ)
故意に持参物を捨ててくる人
行きそびれてしまった場所
見損ねたモノ
会えなかった人
買い忘れてしまったモノ
迷いや悩みなどの精神的感情
どんなに頑張って気を張っていても、何かをポロポロと落としてしまうのが旅である。
だけど、考えようによっては、それでも良いのだと思う。
落としていった結果、最後には身軽になっていて、笑顔だけが残る。
絵本の中のウォーリーのように。
何かを落として、それをもし取りに帰れなかったとしても、ウォーリーは全く動じず、
いつも笑っている。
笑顔というのは、世界に対する自身のステートメントである。
How you show up in the world.
どのような自分を世界に示したいのか、その自己主張なのだ。
旅というのは、そのようなステートメントを身につけることができる、またとない理想
の機会なのかもしれない。
Go South #1
ニューオリンズが楽しすぎる。
以前、東京在住アメリカ人の友人に「ニューオリンズに行きたいんだよね」と言ったら
「え、一体なぜそんなところに行きたいんだ?」と本当に理解できないような反応だっ
た。「だって独特の文化があって、ジャズ発祥地だし、南部料理も食べたいから」とご
く普通な答えを返すと、その友人は一言、「東京の方がジャズの質も高いし、料理だっ
て安くて美味しい」と。
それでも私はニューオリンズに来たかった。
この街での目的は次の3つである。
①南部料理、特にフライドチキンを食べる
②南部独特の建築様式の家を見る
③本場のジャズを聞く
昨日の午前は土砂降りの雨と雷。お昼前にホテルの黒人の兄ちゃんに傘と地図を借り
て、まずは街の中心地であるジャクソン広場へ。広場に着いた頃には雨はすっかり止
み、観光客で賑わっていました。
その後早速、目的①を果たすため、旧市街の外れの南部家庭料理レストランまで足を運
ぶ。Frenchman通りにある「Plaline Collection」。
ここのフライドチキンは定評らしい。
なるほど。いかにも観光客はあまり来なさそうな地元感たっぷりの雰囲気・・・
で、頼んだメニューが出てきた時、一気にテンションが上がる。
いかにも映画「風と共に去りぬ」に出てくる、黒人家政婦のマミーが作りそうな料理じ
ゃないか!!(私はマミーが大好きなのだ)
左からガンボスープ、コーンブレッド、フライドチキンウィング
奴隷制時代、黒人使用人は白人のご主人様には豪勢な食事を用意するも
のの、自分たちはモツなどの安価な材料しか使えなかった。どうにかして美味しく食べ
れるように工夫して出来たのが、写真にあるような「ソウルフード」である。
全て本当に美味しい。特にガンボスープはハマって、日本でも作りたいとベースを購入
した。
↓マミー
フライドチキンなんぞ、普段は絶対に口にしないのだが(あれは悪魔の食べ物だそう
だ)、南部の揚げたてカリカリとなったら話は別である。
この店で嬉しかったのが、あまりのボリュームに全部食べきれなかった時、
私が頼む前に、ウェイターがテイクアウト用のボックスと袋を持ってきてくれたこ
と。普通だったらこちらが「持ち帰ってもいいですか?」と聞いてからなのに、
なんて親切なんだろうと感動し、チップを多めにあげた。
#2に続く。